- 2009年1月20日 07:54
- politics and economics
とうとう今日、アフリカ系大統領が誕生しますね。それも「チェンジ」を合い言葉に。日付は20日ですが、日本時間では、21日の午前2時に就任となるそうです。朝日新聞によると、連邦議会で、聖書の上に手を置いて宣誓した後、約20分の就任演説をするそうです。
聖書で宣誓??
今回の宣誓に使われる聖書は、あのリンカーン元大統領が使ったものと同じ聖書が使われるそうです。
大統領の宣誓に聖書が出てくるところに、どこか現代日本人としては違和感を感じるんですけど、僕だけでしょうか?
過去、44人の大統領のうち、ケネディ大統領がカトリック教徒だった以外は、すべてプロテスタントだそうです。WASP時代の終焉と言われていますが、白人、アングロサクソンはおわっても、プロテスタント時代はまだ終わっていないようです。
彼はガザのことに言及するのだろうか
就任式では、月面探索機がパレードに参加したり、13mmにもになる防弾ガラスに守られたキャデラックが登場するなど話題につきませんが、やはり一番の注目はその演説内容でしょう。
今回の演説は、アメリカ国内だけでなく、世界から注目されるているのは確実です。いわゆる日本の施政方針演説とはちがうので、あとで教科書に載ってもおかしくないような、もっと哲学的というか根本的な国家の進むべき道を示すことで、国民を引っ張っていくようなものになると思います。
ある意味アメリカだけでなく、これからの世界が(世界の片方かもしれませんが)どういう方向に進むべきかを示唆するような内容になるでしょう。「チェンジ」というからには、その内容はとても気になります。
しかし問題は、その後です。それを具体的にどのように行っていくのでしょうか。
イスラエルとガザの問題は、米軍が派遣されている訳ではないので、国内的には、イラクからの撤兵、アフガニスタン問題の解決のほうが中心となると思います。ただ、国際的な視線は、彼がこの問題にどのようなスタンスを示すのかに注目をしているでしょう。僕もその一人です。
今回の選挙にも、大量のユダヤ系資金が流れたとのうわさもあり、アメリカの政治は、伝統的にイスラエル問題に強く言えないという話があります。そうやってユダヤの人たちは、過去自分たちに降りかかった問題が、自分たちの土地を持たないからだという想いから、この問題をいっそうややこしくしているのです。
とは言えイスラエルは、アメリカの大統領就任にあわせて、一方的に休戦をしました。やはり変革を唱える新しいアメリカが、どのような方向に舵を切るのか気になっているのでしょう。ホロコーストという悲しい出来事の被害者だったユダヤの民なのに、いやだからなのか、報復とは言え、圧倒的な差による攻撃を、国民のほとんどが支持している。この現状を世界は変えることが出来るのでしょうか?
アメリカという国
アメリカは独立宣言で、こう述べています。「全ての人は生まれながらにして平等であり、自由、そして幸福の追求する権利を持つ」これが自由の国といわれる所以です。
僕は、アメリカとは、ヨーロッパが行った大きな実験だったのではないかと考えた事があります。すなわち、民族が異なる人々が、同じ場所に住んで、自由と平等という新しい価値観のもと暮らしていけるかどうかいうことの実験です。
この実験が成功するならば、世界はアメリカのようになれる。これがヨーロッパの考え方だったような気がします。そしてその理想を実現するように、アメリカ的価値観を世界に輸出することが是非として信じられている。それもアメリカだと思うのです。
述べられていない宗教
「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただ”アメリカ合衆国”があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ”アメリカ合衆国”があるだけだ」
有名な民主党の大統領候補になったときの基調演説の言葉ですが、ここでいう「アメリカ」を、地球とか世界という言葉に置き換えてみると、わかりやすいかもしれません。たしかに世界がそうなればいいなと一見思えるからです。
しかしこの言葉、注意して良く読んでみると、「ムスリムも、クリスチャンも、ブッディスト、ジューリッシュも…」とは言っていません。よくよく考えてみると、宗教はアメリカのいう独立宣言と相容れない部分がありそうです。たとえば、神様を信じなければ地獄に落ちるのであれば、すべての人は平等でなくなってしまいますから。
多様性を認める世界は可能か
今では「自由と平等」という価値観に、疑問をはさむ日本人はあまりいないと思います。しかしこれですら、1つの見解にすぎません。アメリカがアメリカという名の元に、多様な民族や価値観の存在を認めていると思われていますが、それもアメリカ的な「自由と平等」という1つの価値観の元であると言うことに気づく必要があります。
伝統的に、男女の間や、生まれた環境によって権利の差がある国や地域はまだまだあります。そしてそれは、その地域の文化や伝統、そして宗教と密接に関わっています。
彼らに対して、自由と平等という価値観は普遍的なものだと、一方的に押しつけるのは、間違えていると思います。普遍的な何かのもとに、人々を平等に扱うということと、違いを認めた上で、対等につきあうというのは、根本的に違うと思うのです。
しかし、文化や伝統は時として、一方の側にいる人間には残酷なものとして映ります。それが、自分たちの価値観では、とても理解しがたい、また許し難い行為である場合もあると思います。その時、僕たちはどう行動すればいいのでしょう。
チベット問題で、中国に対して人権問題を主張した各国でしたが、中国もまた、人権問題を理由にチベットに介入しています。普遍的人権というのは、どのようなものなのか。それ自体すら、多様な価値観の違いとも言えるかもしれません。
僕は、まだこのことについてちゃんとした意見を持つことが出来ていません。唯一言えるとすれば、自ら助けを求める人には、しっかりと手を差し延べられるようになる事。人は自分にあった価値観を持つ世界で暮らすことが出来る。それが僕が認めて欲しい多様性の1つだからです。
アメリカは、そして日本は、これからどうやってこの多様性の時代を生きていくんでしょうね。変革がわかりやすいアメリカばかりをうらやましがっていても始まりません。僕も当事者として、出来ることから考え、議論し、行動していきたいなと思いました。
ブログを書く事も、そんな時代の1つの行動かもしれませんね。
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