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卵と壁のことについて

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(CC)West Coast Birding

カザへのイスラエル侵攻について、僕の気持ちの収まらなさを書きたいと以前のエントリーに綴りました。オバマ大統領就任をきっかけにいったん収束したため、その当時の気持ちをまとめられずにタイミングを失っていましたが、今回の村上春樹氏のエルサレム賞受賞のスピーチを読んで、自分の考え方に少し自信をもてたようなきがしたので、この機会にすこしまとめてみたいと思います。

(と、思ったのですが、まとまりませんでした。以下、そのまとまらなかった文章です)

エルサレム賞のスピーチ

2月15日に授賞式があり、ニュースにそのスピーチの要約が日本語で流れました。時間を経ずして、池田さんのブログに全文の引用が掲載。その翌日には複数のブログに日本語訳が掲載されました。

卵と壁

ニュースやブログ等でご存じの方は多いと思いますが、エルサレム賞はイスラエル最高の文学賞です。賞を受賞したことはガザ侵攻の頃に流れていましたので、彼がこの賞を辞退することなくうけいれたことに、若干の違和感を覚えていました。

日本でも、NPOが辞退の申し入れをしたニュースなどが流れ、話題になっていましたが、村上氏のことなので、なんらかの意図があっての受賞だろうとも思っていましたし、賞を贈る側のイスラエルにしても、彼に贈る以上の、なんらかの意図を期待しているのだろうと思っていました。

Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg, I will be standing with the egg.

「高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です。」

今回のスピーチで一番有名になった一節です。壁が正しかろうが、卵が間違っていようが、卵の味方をするという村上氏のスピーチは、内田氏が言うように、正しい、間違っているという事以上に、弱いものはまもらないといけないということです。

システムに対して個であることを主張すること

僕は、戦争とか、思想とか、政治とか、社会とかに、組織とかに対して、理屈ではない葛藤を抱え続けていました。

壁は、時として守るべき内側の卵をすら傷つけることがあります。

僕が小学生の頃は、ちょうど冷戦時代でした。

ぼくが育った土地は社会党や共産党が強い、比較的リベラルな地域で、僕自身も戦争や平和といった事について、そう言うシステムからのメッセージに感化されていました。今から考えると明らかに共産党色の濃い授業を行っていた先生もいた記憶があります。

一方、学校区に自衛隊基地があったため、同級生には自衛隊団地から通ってくる友だちも多くいました。当然かれらは、自分たちの父親の仕事に対して誇りを持っているわけです。当然、かれらとよく戦争がはじまったらどうするべきなのかということで、口論になりました。

感化されたといっても、当時の僕に政治な理解力があるわけでもなく、言葉尻の問題だけでした。本質的に一番影響をうけていたのは、実際に戦争を体験している親世代、特に母親たちの気持ちでした。それは、まったく思想や政治的なおもいはなく、食べることに苦しんだこと、傷つけあうことの悲しさといった、息子を戦争にいかせたくないというような、母性ともいうべきものです。

しかし、実際に敵が攻めてきたらどうするのだ。だれが守るんだということに対して、きちんとした答えを説明できず、ただ、母親たちの切実な想いは十分に伝わっていた僕はずっとその葛藤を抱えたまま大人になったのです。

葛藤は(男として、大人として)甘い考えなんじゃないかと、どこかで指摘されているようで、すこしトラウマになっていました。愛国心とまでもいかなくとも、国益や現実を考えて、利己的に判断するのが大人だと。それでも、自利のためには、相手の卵を傷つけるのが大人なんだったら、大人にならなくってもいいやってどこかで思ってもいました。

しかし、卵が卵を思いやる、理屈ではない純粋な気持ちの積み重ねだけが、実は解決への道なんじゃないかと、僕の葛藤は葛藤のまま持ちつけてもいいんだと、今回のメッセージを読んで、すこし自信が強くなりました。

壁は、他方の卵を壊すことでしか、他方の壁を傷つけることができない

誤解してはいけないのは、イスラエルが壁で、ガザが卵だと、短絡的に考えない方がいいと言うことです。あくまでも実力行使を行った政治や軍というシステムが壁で、それによって傷ついた個人が卵なのです。逆をかえすと、ハマスというシステムから、ロケット弾で傷つけられた、イスラエル人の個人も、攻撃に参加して心がすさんでしまったイスラエル兵も、やっぱり卵なのです。

卵は、酒場の喧嘩でもない限り、他の卵に直接復讐をすることができません。国境を越えた復讐は、かならず卵によってつくられたシステムによって実行されます。

システムが攻撃するのは、相手のシステムではありません。一方の卵です。敵のシステム弱体化をねらった攻撃だとしても、それは個々の卵を壊すことによってしか、システムの弱体化はできないからです。システムは、所詮仕組みでしかないので、それ自体には実体がないので、攻撃することはできないからです。

卵が抱える恐怖心は、自らを守る壁を作る原動力となり、個人の復讐を代理することで、その壁の行為を正当性する根拠になっています。しかし、その代理復讐は、他方の卵の恐怖と復讐の源になり、はやり彼らの壁とその正当性を担保するだけになっているのです。そんな復讐の連鎖は、結果として双方の卵が壊れるだけです。

常に卵の側に(ハアレツに寄せられたコメント) [はてな匿名ダイヤリー] http://anond.hatelabo.jp/20090218205723

しかし、こういった村上氏のメッセージに対する、イスラエルの人々のコメントを読んでいると、恐怖や復讐の気持ちを持ちながら、相手の卵のことを想いやることの難しさが分かります。それは、家族が犯罪に巻き込まれたとき、犯罪者に極刑を求める家族の姿と変わりません。しかし、戦争は、罪をおかしたその本人に対して罰を与えるのではなく、他方のシステムに属するまた別の個人に対する行為です。

自分の家族がもし傷つけられたとき、その事を想像して思いとどまることができるのか、最初のきっかけが悪意に基づいたものでなく、ボタンの掛け違えだったり、遠い昔にまったく別の他者によって双方に押しつけられたものだったり、本当に罰するべき人はすでにいないのかもしれないのにです。

卵と壁の問題は、戦争に限った話ではない

このことは戦争といった非日常のことだけでなく、社会とか、就職とかであっても同様です。

本来、卵を守るべきシステムだった壁が、いつのまには、残すべき卵と、すてるべき卵を選択する装置になってしまうかもしれません。

自分が選ばれた卵だとしても、選ばれなかった卵のことを考えられているでしょうか? 安易な自己責任論が跋扈している最近の日本で、自分を守ることばかりで、傷ついた卵のことを想像し、思いやることができないのであれば、形を変えた形で、イスラエルとガザのような終わりのない戦いが、この日本でも始まっているのかもしれません。

    

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村上春樹の「卵と壁」スピーチについて思うこと from 身近な一歩が社会を変える♪ 2009-10-15 (木) 01:02
(一応前回の続きです。) 今年2月に、村上春樹がイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞し、授賞式で「卵と壁」のスピーチをしたことは、記憶に新しい。...

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